FAITH: The Unholy Trinity、あるいは救えなかった者たちに手向けるもうひとつの三位一体

 

 

ひとは簡単に救えないということについて。

 

はじめに

FAITHのテキストを翻訳したり人物相関図を作るのをお手伝いしながら、エンディングや登場人物について考えたことをまとめた感想文です。適宜、作中メモや開発者airdorf氏のインタビューの引用・翻訳を挟みます。

※全chapter・全EDクリア前提

※このテキストは何の事実も保証しない

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※ゲーム画面は非公式日本語modを使用



救えなかった者たち

自分にとってFAITHが結局どういう話だったかというと、「ジョンがエイミーを救えなかったことを認めるまで」の話だと思っている。それはGood EndingでもBad Endingでも一緒だ。

「君を救うことができなかった」

※エイミー、マーティン家と悪魔祓い事件の経緯はこちらを参照

 

前の記事で書いたとおり、悪魔祓いの前からエイミーの家庭環境は荒廃していて、その隙間にカルト教団が入り込む形で、エイミーは悪魔憑きとなってしまう。世俗の人々もエクソシストもだれもエイミーを救うことはできず、ゲーム開始時点ですでにエイミーは顔をくり抜かれて悪魔の器となっている。

この結末、エイミーが悪魔の器となる運命を決定したのはジョンだ。少なくともジョン自身はそう感じているかのような行動をとる。悪魔に圧倒され、恐怖に負け、エイミーを救わないまま逃げ出すと選択したことを、ジョンは過剰なまでに悔いている。

この罪の意識、どうしようもない罪悪感と後ろめたさが、妻を置いて自分の命を省みずにマーティン家へと舞い戻り、終わらなかった悪魔祓いを再度始める理由、悪魔に満ちた暗闇の中を十字架ひとつで進む狂気じみた悪魔祓いの原動力だ。強迫観念につき動かされるように、ジョンはひとりで進み続ける。エイミー、そして罪悪感からジョン自身が作り出した偽りの救済対象である双子を助けるために。

けれど冒頭に書いたとおり、すべてははじめから手遅れであり、当然その願いは叶わない。もう救えない者をそれでも救いたいと願い続ける矛盾と苦しみが、この作品のアンダートーンとして重苦しく流れつづけている。

というわけで、この作品はどうして、そんなにまでして誰かを救いたいのかなあと思ったのでこの感想文を書いている。

 

 

三人の母親たち

相関図を作ってて気づいたけれど、エイミー、ゲイリー、ジョンの3人の主要登場人物には、わずかにだけ言及されている母親がいる。その3人の母親はみな、悪魔の器や悪魔憑きとなったり精神が疲弊していたりとかなり異常なことになっている。

 

シンディ

エイミーの母のシンディは、双子の息子を流産で亡くしている。彼女は息子の死を認められず、双子の誕生会を開いたり想像で双子と暮らしている日記を書いたり、双子の依り代として謎のマネキンをたくさん置いたりして、双子がまだ生きて戻ってくるかのように振る舞っている。父親のボブもシンディに寄り添って精神科の治療に同行していたようだけれど、一方で仕事で家を離れがちで、それによりシンディは強い不安状態に陥っている。さらにボブは、怪しげな迷信じみた人形を送ってきたりすることで、シンディの思い込みを加速させるような行動を見せる。このように、マーティン家は悪魔が憑く前から明らかに様子がおかしく、機能不全に陥っている。

家族の肖像

祝う人も祝われる人もいないはずのお誕生日会

エイミーは森の一軒家で学校に行かせてもらえず隔絶状態にあり、中絶手術も行う婦人科クリニック(ゲイリーの教団が運営)でボランティアをはじめている。この活動はおそらくカトリックのご近所さんに嫌がられており、メモにもそれらしい描写がある。

このようによくわからないところもあるけれど、とにかくマーティン家の家庭内がゲイリーの教団と接触する前から荒涼とした状況であったのは想像に難くない。

「呪われた」家

ちなみにChapter3のジョンによるマーティン家回想シーンには、家の至るところ怪しげな母親の影で満ちているシーンがある。加えて、双子部屋は思い出せないものとして描写を避けられている。ジョンはシンディの状況が家に暗い影を落としていることも、双子の部屋が普通ではないことにも、本当は最初から気づいてたんだと思う。

マーティン家玄関回想・左隅にシンディの影(他の部屋でも同様)

双子部屋の前「なにも思い出せない」

 

ミリアム

ゲイリーの母にあたるミリアムは、自ら望んで自分の顔をくりぬかせて悪魔の器となり、できた穴(地獄への門)に赤子を通すことでゲイリーを生み出した恐ろしい女性だ。

ミリアムの肖像(教団本拠地にて)

Chapter2のPrologueで少しだけ彼女、シスターベルことミリアム・ベルについて語られている。彼女は孤児院にやってきて献身的に働いたのち、6人の子供を悪魔の贄として捧げる事件を起こす。子供たちは惨殺死体として発見され、この事件を調査にやって来たクラーク神父もまた、教会の地下室で悪魔に出会い発狂して死んでしまう。この事件の後、教会の地下への道は封印されたらしい。

 

Chapter2 プロローグのNoteより

その時、礼拝堂から大きな物音が聞こえてきた。そこに行ってみると、ミリアムがあ
の子たちを地下に続く階段へと引きずりこむ瞬間を目撃した。私は銃を抜いたが、クラーク神父が止めた。
神父は神の御業について口にしながら階段を下り、階段の口を封鎖してしまった。階段はこちら側からは開かない。私はただ待つことしかできなかった。階下から聞こえてきた異音はとても言い表せない。だが、ひとつだけ確かに言えることがある。

悪魔は実在する。

 

なにがあってシスターの身でありながら悪魔の器となろうとしたのかはわからないけれど、めちゃくちゃキリスト教の世界を憎んでたんだろうなと思う。

ゲイリーは母であるミリアムを教団の礎として、その意志に従って行動している。はっきり言えば、ゲイリー以上の本作の諸悪の根源だと思う。こわい。

最難関ボスの一角のミリアム(いまやゲイリーより強い)

 

メレディス

そしてジョンの母のメレディス。彼女についてはChapter1のメモ及びChapter3のジョンとエイミーの会話で少し触れられている。どうやら心を病むかなにかして、悪魔憑きとなってしまったらしい。ジョンはリサと孤児院にいたことが示唆されているので、メレディスはジョンが幼いときに、なにかしらの理由で亡くなるか養育不能の状態になってしまったのだろう。

悪魔は自分を祓おうとする者の心の弱みを見抜き利用する。悪魔に憑りつかれたエイミーが見抜いたように、メレディスを救えなかったことは、たぶんジョンにとって大きな心の傷になっているのだと思う。

Chapter3 エイミーの台詞

メレディスはどうだった?あの人は良くなった?

 あなたは彼女を救えなかった。あの人はいま、私とおなじところにいるんだよ」

 

エイミーとゲイリーとジョン、主要登場人物の三人はそれぞれ絶望に満ちて悪魔側に取り込まれてしまった母親、救えなかった母を持っている。

その絶望の先で、エイミーは家庭環境の隙間につけこんだ悪魔により、両親を残忍に殺害し家族を終わらせる。ゲイリーは母親の意志を継ぎ、救えない世界を混沌で満たすため「第二の死」をこの世にもたらそうとする。そしてジョンは、メレディスもエイミーも救えないまま、ずっと迷いながら十字架ひとつを頼りに闇の中を歩き続けている。

救えなかった母を持つ三人の子どもたち、その三人がそれぞれの救いを求めて織りなす物語が、FAITHというゲームの奥には横たわっている。


救いと悪魔祓い

では、『救う』とはなにをすることなのか。この作品でそれは「憑いた悪魔を祓うこと」を指している。エクソシストを描くジャンル作品では、えてして悪魔は辛いことや悲しみや憎しみや弱さなど心の隙間を捉えて、人間に取り憑く。そして負の感情が純粋であるほど、その感情が深ければ深いほど、悪魔は強くなる。

 

Chapter1の時点でエイミーはすでに悪魔の器とされてほとんど救いようがない状況にある。様々なゲーム内資料・状況を総合するとエイミーの状況経過はこんな感じ。

(エイミーが器になるまでの流れ)

  • 家庭が機能不全状態となっているエイミーに対して、カルト教団は正体を隠して近づき、団体が運営するクリニックのボランティア活動に勧誘する。
  • ゲイリーがエイミーに悪魔の器としての適性を見出す。
  • (教団の介入により?)エイミーは悪魔憑きとなる。
  • エクソシストによる悪魔祓いが試みられるが、失敗。エイミーはオルレッド神父を素手で絞殺し、その後両親の腸を引きずり出して絞殺する。
  • ジョンは現場から逃走し、警察が到着した後、ジョンとエイミーは精神病院に収容される。
  • 事件から1年後、エイミーが精神病院から逃走。カルト教団の信者たちに捕まり、悪魔の器とするための儀式が始められる。
  • 幻覚・麻酔作用のある注射を打たれる。
  • 仮面をかぶせられる。(おそらく内側に顔面を麻痺させる薬が塗られている)
  • 儀式用のナイフで顔面をくりぬかれる。
  • 器となったエイミーはどうやってか逃走し、マーティン家に帰りつく。

 

ふつうの17歳の少女だったはずなのに、家族も希望もすべてを失い、顔をえぐり取られて人間としての尊厳までぐちゃぐちゃに破壊されたエイミーのことを考えると、ほんとうにつらい。Chapter1のエイミーがばかみたいに強いのも、おそらくそれだけ絶望と憎しみが深いことの表現なのだと思う。

Chapter1のエイミー出現時音声の台詞

「出テイケ!」「今スグ立チ去レ!」「裏切リ者!」「役立タズ!」「赦サレナイ」「虚無ダ」「見捨テラレタ」「モウ遅スギル」「我ハ罪ノ化身」「茨ノ冠」「全テノ希望ハ失ワレタ」「ソシテ地獄ガ来ル」「私ノ目ガ!」「血ガ流レテル」「アアアアアアァ」「オ前ガ見エル」「コッチヲ見ロ」「殺シテ」「ママ…?」

参考:FAITH wiki

何回Mortisさせられたか

そんな大きな憎しみと悲しみを抱えざるをえなかったエイミーに対して、恐怖心に捕らわれ、悪魔に向き合う強さを持たないジョンの祈りはまったく届かない。

1年前の回想時のジョンは、十字架を掲げてもエイミーにたやすく敗北してしまう。この悪魔祓い事件での失敗を機にジョンは精神病院に収容され、悪魔祓いが間違っていたと認め、一度は信仰を捨てる。

自分の意志で悪魔に対峙するため戻ってきたChapter1のジョンも、悪魔を退けることはできても祓うことはできない。

「その小さな棒きれを私に向けなよ」

エイミーに憑いた悪魔を祓いたいのなら、確かな信仰を持たなければならない。大きな憎しみと悲しみに捕らわれた者を救いたいのなら、どれだけ肉体が滅んでも闇を進み続けて強くならなければならない。自分自身の弱さや罪悪感や後悔を形にしたような悪魔に向かい、誰かを救えるということを信じ続けなければならない。十字架を、己の信仰だけを頼りに。

鑑の中の悪魔

地下室の悪魔

Chapter2 キャンディトンネル地下の暗闇にいる悪魔の台詞

「ヨウコソ、冒涜者ヨ」「手遅レダ、神父ヨ」「彼ラヲ取リ戻スコトハデキナイ」「子供タチハ永遠ニ我ノモノ」「子供ラヲ苦シメヨ」「ココダヨ」「ホラ、オ前ニハ捕マエラレナイ」

ごっこ悪魔

Chapter3 アパートの暗闇で追いかけてくる悪魔の台詞
「オマエノ秘密ヲ知ッテイルゾ」「モウ隠セナイ」「裏切リ者ガ!」「彼女ハ常二オ前ト共ニアル」

先の見えない闇のなか、たくさんの悪魔とカルト信者たちがジョンを襲う。ゲームプレイの中でずっと、罪悪感と信仰への疑念は悪魔へと形を変えて、強烈な悪意をジョンにぶつけて問うてくる。「弱く罪深いお前にだれかを救えるのか」と。

Chapter3 アパートの暗闇の中で十字架を失ったジョンに迫る鬼ごっこ悪魔

 

冒涜の安息日の当日、保育園地下の恐怖に満ちた暗く長い迷路の先で、ジョンはついに悪の根源たるゲイリーと出会う。

恐い!

死に至るような恐怖の中で、ジョンはようやくすべてを思い出す。恐怖に負け、白い存在と対話したこと。そして、エイミーを見捨ててあの家を去ったことを。

ジョン:主よ、助けてください。
ジョン:誰か、どうか助けてくれ。

??:汝の声を聞こう。
??:ジョン、人の子よ、汝の願いはなんだ?
ジョン:これは、私の身には余ります。私は怖ろしいのです。どうかこの場所から逃してください。
??:少女はどうする?
ジョン:私はただ帰りたいのです。
??:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。
ジョン:お望みならなんでもします。どうか、ここから連れ出してください。
??:誓いなさい。
ジョン:誓います。

なお、開発者のAirdorf氏は白い存在について、「コリント信徒への手紙二11章14節」を引き、あの存在は悪魔が天使を装ったものと示している

コリントの信徒への手紙二/ 11章 14節

しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の天使を装うのです。

日本聖書教会「旧約聖書 聖書教会共同訳」

天使の振りした悪魔のささやき

悪魔にそそのかされて(または、助かりたいという自分の弱さにより作り出した幻影によって)マーティン家から逃げ出し、救うべき少女を見捨ててしまったことをジョンは思い出す。それは自らの最奥に隠していた秘密だ。

そしておそらく、ジョンは母親メレディスに対しても、母親を救うことができなかったことを強く後悔している。彼はずっと己の弱さのせいで救えない人がいることを罪深いこととして悔やんでいる。

それでも神父としての道を選んだのなら、始めたことを終わらせなければならない。

死ぬほどの恐怖にもう一度苛まれ、ようやく自らの犯した罪と弱さに向き合ったジョンが今度こそ恐れずにエイミーを救えるかどうかは、これまでどんな道を歩んできたか次第だ。

「恐れるな、ジョン」



 

 

Neutral Ending

俺たちの戦いはこれからだED

ガルシア神父に叱られるにせよ、共に進むにせよ、エイミーは救われてないのでこれからも悪夢を見続けるのかもしれませんね。



Good Ending

悪魔の源となる場所である『坩堝』は結局、ジョンとエイミーが出会った場所、すべての始まりの場所であるマーティン家の屋根裏部屋に繋がっている。

ジョンは神の助けを借りて、待ち受けるゲイリーやマルファスたちと愉快で熱い激闘を繰り広げる。

おめでとうございます!穢れた三位一体が完成しました!!

穢れた三位一体を浄化し、夥しい数の死と迷いと恐怖に満ちた暗闇のなかを歩き続けた果てに、ジョンはついにエイミーのもとへたどり着く。その瞬間、なぜかエイミーの顔面は元通りとなり、そしてようやくここで、ジョンとエイミーの会話が成り立つ。

すべてはたったこの数ドットのために

ジョンは結局エイミーに対してなにもできなかったけれど、それでもエイミーを救うためにここまで歩んできたこと、救えないはずのものを救うために困難な道を進み続けてきたことそのものが、ジョンの信仰だ。

わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。

もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。

信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

ヤコブの手紙 2:14-17)

 

日本聖書教会『新約聖書 新共同訳』より

今までどれだけ十字架を向けてもエイミーに祈りは届かなかったけれど、今度こそジョンの言葉はエイミーに届く。エイミーとジョンは数言会話したのち、悪魔祓いは終わる。

キリスト教徒ではない者の視点から率直に言えば、非合理的で頑迷にも見える一途な行い、それこそ信仰なのかもしれないけれど、それがようやくエイミーになにかを信じさせ、だからこそエイミーに巣くった悪魔を祓うことができたのだと自分は信じている。

たとえもう手遅れで、すべて終わっていたのだとしても。

 

どれだけ過去を悔いてもジョンの時は進み続ける。救えなかったことを受け容れ、それでも信仰を手に進み続けることで、ジョンはようやく前に進める。

この物語は、ひとつ始まりひとつ終わったことで終わる。滅びるはずのない悪魔と戦い続けるにしろ、平穏な生活を探し求めるにしろ、それはまたべつの物語だ。

CATECHISMS(教則)

 

 

ゲイリー・ミラーというふつうの人間

カルト教団の主導者として冒涜の安息日の実現を目指し、ジョンと敵対していたゲイリー。彼の出生は特殊で、生まれた直後に教団に拉致?され、自ら悪魔の器となったミリアム・ベルの顔の穴(地獄へのポータル)へと通されて、悪魔の洗礼を受けることで、神の子ならぬ悪魔の子としての運命を定められている。

ゲイリーは器となり切れなかった母ミリアムの遺志を継ぎ、地上への地獄の到来「第二の死」に向けて悪事の限りを尽くし、ひたむきに頑張り続けている。その姿は、私利私欲だけの俗物として描かれがちなカルト教祖と比較すると、ある意味カルトとして敬虔といえるかもしれない。

 

印象的なカルト教団の合言葉「ゲイリーはあなたを愛しています」"Gary Loves You"

この言葉で示す愛は、おそらくキリスト教における『愛』の概念を転用していて、教団内での兄弟愛・隣人愛、そしてゲイリーと悪魔からの無償の愛を説く。

ふつうに生きている人からすれば、この言葉は教団が信者を都合よく利用するための方便にすぎないことはすぐにわかり、馬鹿馬鹿しく聞こえる。けれど一方で、辛い現実に打ちひしがれ心の隙間をカルトに絡めとられてしまった人たちにとって、その言葉はどこか現実以外の別の場所へ誘うような、抗いがたい魅力ある言葉でもある。

 

Chapter2には、望まれない妊娠ののち子どもを失って傷心の女性、アル中の父親による虐待といじめで疲弊している子供などがゲイリーの教団に入信してしまったであろうことが記されている。

Chapter2 墓地で拾うノート①

赤ちゃんを失ったあと、私はまた医院の向かいで彼女を見かけた。(中略) 

私は彼女の後を追って、小道から森に入った。そして、ゲイリーと出会った。

Chapter2 墓地で拾うノート②

もう偉ぶったアル中の父親に暴力を振るわれることもない。傷やあざを隠さなくていい。薬も注射針もいらない。笑われたりいじめられたりすることもなくなる。二度とあいつらにあたしのことを笑わせない。

この視点は一貫していて、開発者が参照作品として明示しているアリ・アスター監督のホラー映画「ヘレディタリー/継承」でも、ふつうに暮らしていたはずの家族が偶然の事故や身内の不幸などから現実への不信を募らせ、荒唐無稽に思えるカルト教団・悪魔に徐々に取り込まれていくまでの恐怖、絶望、そして入信による悪魔的な高揚と救済を、現代的な視点から切実に描いている。

A24作品をはじめ、近年のホラー映画作品の一定数は、どんなに奇妙で禍々しいものであれ、その人の感じる恐怖や救いを求める気持ち自体は、客観的事実と同等あるいはそれ以上に切実で重要なものであることを鮮烈な恐怖表現を用いて描く。

エクソシストやリング(海外版)、パラノーマルアクティビティをはじめ、古今のホラー映画を参照するFAITHもまた、その流れに連なる作品だ。

FAITHの世界のどこかには、ティファニーをはじめゲイリーの愛を切実に必要としている人がいる気がする。だからこそ「ゲイリーはあなたを愛しています」という言葉は笑えると同時に恐ろしく、魅力的に響くのだろう。

 

閑話休題

 

坩堝の奥でゲイリーは彼の秘密を打ち明けてくれる。「ゲイリーはあなたを愛していません」という言葉が彼にとっての真実だ。それはずっと敵対してきた悪のカルト教団の礎となる『ゲイリーの愛』など存在しないという皮肉な真相でもあるし、彼の叫びでもある。

「父と子と聖霊」ならぬ「母と子と悪魔」として共に三位一体を形成し、愛を与えるはずの存在である二者、悪魔もおそらく誰より尽くしてきた母ミリアムも、誰もゲイリーを愛していないのだから。

ゲイリーはあなたを愛していません

最終決戦で、不気味で大きな赤子のような姿となり地面を這いながらジョンを追うゲイリーは、歪んだ「子」を体現するようだ。最後にミリアムの死骸とマルファスと合体して完成する穢れた三位一体「スーパー・ミリアム」(とは?)となるけれど、彼らは信仰の力を持つに至ったジョンに撃退されてしまう。

母なる存在を失い世界の救済に失敗したゲイリーは、完璧な器、彼に救いをもたらしてくれるはずのエイミーへと向かう。けれど、エイミーから手を伸ばした悪魔は「失敗作メ」とゲイリーを裁き、地獄へと飲み込む。これで、ゲイリーの物語は終わりである。

恵みのような血の雨が降る

〇〇はあなたを愛していません

悪行を尽くしたすえの当然の結末だけど、救済は訪れないし、ゲイリーはあなたを愛してないし、悲しいね。

(Chapter3 小屋内のゲイリーの手記より)

反キリストはすぐに現れるだろう。「第二の死」がこの世界を灼き尽くすだろう…
この哀れな肉の球体はまだ幼年期にありながら、救われるには果てしもなく遅すぎる。

 

Good Ending翻訳雑記

FAITHみたいな内面を掘り下げる系のホラー作品って、ともするとストーリーそのものが主人公の独りよがりと紙一重に見えるし、悪や救済をもたらしてくれるキャラクターも主人公の内面(罪悪感や願望・欲望など)を反映しただけのイメージに終始することがよくある。

そんな悩める一人相撲ものとして完成してるホラー作品も多いし、そういうのもすきだけど、自分にとってFAITHは一人の内面で完結する物語じゃない。

ゲイリーは単なる悪者という役割ではなくて、心が弱ったり現世に憎しみを持つ人をどこか惹きつけるような、現実のカルトが持つ怖さやそれを支える彼なりの信仰を持つキャラクターとして表現されているし、それはエイミーも他のキャラクターも同様だ。

できる限り、その苦悩や信念をテキストで表現できていたらいいのだけど。

 

Good Ending 最後の祓魔シーン

ジョン「エイミー、本当にすまない。君を救うことができなかった。」

エイミーの台詞

(原文)"John... It's okay. You've been so brave."

(最初の自分の訳)「ジョン…大丈夫よ。あなたはとても勇敢だったわ。」

救われない男が妄想する少女の台詞っぽくて好きじゃない。救済も妄想の産物では?

(完成版の訳)「ジョン…いいよ。あなたは本当に勇敢だった。」

なんとなく、エイミー自身がちゃんとジョンの行いを評価して赦した感じ。

自分でゲイリーを裁き、ジョンを赦したエイミーが最強

自分の好みだけど、加害者であり最大の被害者でもあるエイミーを絶対に主人公のための都合のよいキャラクターにしたくないし、どこにでもいる田舎の女の子が普通に持ちうる最大限の憎しみと強さを表せる台詞であればいいなと思ってる。

だからこそ、最後に一個人としてのジョンとエイミーのコミュニケーションが成立し、そこに救いがあると思うので。

 

Airdorf氏インタビューより抜粋・私家翻訳 38分頃から 

※Airdorf氏はキリスト教信者で、日曜学校の先生もしているとの話が前段にあり。

 

僕が赦しという概念について今まで経験したなかで最も記憶に残っていること、それは、ある友だちに対して本当に本当にひどいこと、とても悪いことをしてしまって、それでお互いの仲がすごくこじれて、ほとんど1年間口も聞けない状態になってしまったことがあるんだ。だけど、ようやく彼に電話する勇気を出して、僕はこれまでのことすべてが間違っていたと謝った。

彼はすべてを言わせず、「大丈夫だ。君のことを許すよ。」と言ったんだよ。

彼はキリスト教の信者ではなかったし、そもそも神が存在するかは分からないとつねづね不可知論者を自称していた。でも、その瞬間、彼に赦されたのだと知ったとき、キリストによりすでに罪を赦されていると予知されたときよりも強くなにか特別なもの、ひとと和解するということは本当に特別なことなんだと強く感じたんだ。

 

だからほら、うん、ジョンがエイミーと和解する瞬間が必要だと思ったんだ......それはすべて意味があるとは言えないかもしれない。エイミーは憑りつかれてるし、顔に穴が開いたままだから。だけど、昔の自分に戻ってエイミーが言うんだ、いいよと。私はこの人たちの犠牲者であり、それでもあなたはこの人たちを止めるためにできる限りのことをしたんだと。

時には、僕たちにはこの世界で誰か「いいよ」って言ってくれる人が必要なんだ。

 

 

Bad Ending

冷たく救いようのない現実がいちばん明確に見えるEnding。

Good Endingの坩堝の中ではうっすらとしか見えなかった「マーティン家はジョンが来る前からとっくに崩壊していた」という現実は、このエンディングでだけはっきりと見える。

ジョンが秘密の部屋に隠そうとしていたもの、足が遅い理由や双子が結局なんだったのかもこのEndingでようやくわかる。

Good Ending 坩堝の中のマーティン家(自分の周囲しか見えない)

Bad Ending 記憶の中のマーティン家(崩壊した家が明瞭に見える)

双子とは、双子を亡くしたマーティン夫人とエイミーを救えなかったジョンがすがり続けた「偽りの救い」なんだと思う。エイミーを救えなかった彼にとっては「双子を救うこと」、自分が誰かを救えるということがすがるべき救いだ。

この場面だけ急に双子の部屋が終着点になるのは、現実から目を背け、エイミーを見殺しにしたことを自らに隠蔽し続ける弱さ、偽りの救いを求めたその弱さこそが、救いのなさに繋がっていることを示しているかのようだ。

双子の幻影

双子の真相

双子の木偶人形を前に、ようやく「双子を救う」という救いはないことを悟り、絶望したジョンは、エイミーとマイケルという救えなかった子どもたちに手を引かれて器となり、「Damnatio Memoriae(記憶の抹消)」という最も重い天罰がくだされる。神父を自認し人を救い導こうとする者でありながら、自らの罪を認められずなにも為すことができないなら、それは当然受けるべき断罪でもある。

そして、マーティン家の惨劇もジョンの犯した罪も、知る人はもういない。

なにもない、はじめから

 

けれどこの作品のBad Endingは、彼の弱さと後悔と絶望に対して、作中でいちばん美しいテキストと音楽を添えている。

「この家に足を踏み入れたときから、すべてが変わってしまった。」

「あの子はまだあそこで...私を待っているのだろうか」

「なぜ私はここへ来た?なぜ立ち去って、二度と戻らないことができない?」

 

それは悪魔の器へと至る道だ。

その音楽はジョンだけでなく、かつてこの道を歩いたミリアムやマーティン夫人やメレディスら、冷たい現実の中で絶望に屈し悪魔に取り込まれていった者たちに捧げられる葬送曲のようで哀しく、どうしようもなく美しいと自分は思う。

 

 

Bad Ending翻訳雑記

Chapter3のBad Ending、音楽綺麗だし台詞もいちばん好きなので、じっくり見てもらえたら嬉しいというのが翻訳した者の贔屓目。あと、Chapter1で車で轢かせただけのマイケルのこと、ちゃんと悔やんでるのがわかってよかった…

Bad Ending 後悔の道

 

ジョンの器への道は静かで美しいものだったけれど、人によって器へと至る道は異なりそう。某FAITHのRTA配信でミリアムの言葉にならない断末魔みたいな叫び声(めちゃくちゃうるさい)を聞き続けたせいか、自分で器となる決断をしたミリアムの道はもっと過酷で、サバイバルモード悪魔いっぺんオプション有効くらいハードモードだったのかもしれないなあと想像している。

Airdorf氏インタビューより抜粋・私家翻訳 2時間17分頃から

※インタビュアーのWendigan氏の「どこかでおっしゃられてましたが、ミリアムはもともとトウモロコシ畑の悪魔に襲われた一人だったのですか」という質問に対して。

 

(Chapter2プロローグの2つめのメモの中で)トウモロコシ畑の悪魔に襲われた6人の残骸を埋めながら「身の毛もよだつようなこの仕事を終えたら、もう二度と孤児院の人間には会いたくない。昨夜、院の中にいたあの娘にも」という文章があるけれど、その娘がミリアムを示しているんだ。

そう、彼女は選ばれてしまったんだ。堕落させられてしまった。

本当は違う、彼女は悪魔じゃないし、生まれたときから悪い種子があったわけでもない。彼女の物語を語るべきかどうかはわからないけれど、彼女は何らかの理由で(神による)永遠の命を捨てたんだ、悪魔をこの世にもたらす力を得るために。

そうして、ミリアムはゲイリーをこの世にもたらしたんだ。

人類みな地獄に堕ちよ(サバイバルモード・all悪魔オプション有効)

 

結局、ジョンがどうして双子という偽物の幻影を作りだしてまで過去から逃げようとするのか、過酷な悪魔祓いを経ないと過去を思い出せないのかは正直よくわからない。けれど自分はなんとなく、過去に向き合う覚悟が持てないまま自分の過去、自分がなにをしたのか思い出したら、このBad Endingに行き着くしかないからかもしれないなと思っている。

にしても、弱い自分に向き合えなくて、それでもキツい現実を直視せざるをえなくなって、そのあまりの辛さに悪魔に呑まれて壊れてしまうなんて、いちばんまともなエンディングじゃないだろうか?

あやしげな儀式を行い、自分自身を死に至らしめるような悪魔祓いを続けることでしかたどり着けないGood Endingよりずっと。

 

 

最後に

この文章は先行ファンの方々のたくさんの蓄積や、日本語modで遊んでくれた人の感想・配信を見て多くの示唆を得たことから書くことができました。改めて感謝申し上げます。

 

FAITHは非常に多義的な作品です。自分が書いてきた「信仰と救済」というテーマをシリアスに取り扱う作品であるとともに、多くのホラーゲーム・ホラー映画を参照する優れたホラーゲームであり、いらいらするようなレトロアクションゲームであり、MORTISをはじめ笑えるミーム・イメージをたくさん含んだファンダムに愛される奇妙なアイコンでもあります。

これらが重なりあわさることで生まれる唯一無二の体験を、ぜひ実際にプレイして味わっていただけると嬉しいです。シンプルで複雑なゲームだからこそ、そこから何を感じ、見いだすかはプレイする人によって違うはずです。ゲームプレイを通してそれぞれのFAITHを見いだしてもらえたなら、それが翻訳modを作成した者としての喜びです。

 

(作品リンク・冒頭レビューに日本語modリンクあり)

開発者のインタビュー動画やこれに基づいたストーリー解説はこちら(英語)

Inside the Mind of FAITH: The Unholy Trinity - YouTube

The Game too Scary for 3D - The Hidden Story of FAITH: The Unholy Trinity - YouTube

 

 

 

始めたことを終わらせなければならない

始まってしまったことを終わらせるための話にお付き合いいただきありがとうございます。

この感想文は、救えなかった人がいる人のために書きました。あなたがなにを信じていても、信じられなくても、あなたの心にいつか安息が訪れることを願っています。