「0号線沿い、悲しみと恵み」 Kentucky Route Zeroコラム翻訳

前書き

Kentucky Route Zero に関するコラム「Grief and Grace Along Route Zero」(Perry Gottschalk氏執筆、ゲームメディアUnwinnable掲載)を読み、とても感銘を受けたので日本語へ翻訳しました。

アメリカという国においてKRZがどのような意味を持つのかという一端を示すとともに、KRZに流れる感情を哀切に表した、悲しく美しいコラムです。

 

翻訳・掲載に関して、快く許諾いただきましたPerry氏及びUnwinnableに深く感謝いたします。(リンク

unwinnable.com

 

 

翻訳

0号線沿い、悲しみと恵み

Perry Gottschalk、2024年1月19日



 

2022 年 8 月、モンタナ州中部。私たちはこの地を去った。

 

私がこの場所に来たのは何年か前、地元の大学の学位取得までわずか数単位を残して中退した後、目的もなく、いつまでもレストランや小売店で奇妙な仕事をする運命にあるように思いながら、シカゴから移住してきたときだった。妻との出会いはそんな仕事の最中、よりにもよってレンタルビデオ店だった。こういう店は10 年以上前から潰れ始めていたが、この小さな山間の町は周囲を取り囲む広大な山脈のように動じることなく、そのささやかさを守り続けていた。自分の抱えるものに根ざしたカルチャーにあまり共感できない人であれば、それを「停滞」と呼ぶだろう。

しかし、町は変わった。数十年分の進歩が一瞬にして町を襲ったのだ。どんな理由であれ、私たちの家は私たちの知らない人々に浸食された。それは、カウボーイめいた幻想を実現させようと目を輝かせながらイエローストーンを見上げる人々であり、「未開拓」のものに新たな可能性を見出す裕福な投資家たちであり、額に汗して働くことよりお金が重要視されることのなかったこの場所にやってきたお金だった。

私たちは、自分たちが愛した町が苦しみ喘ぐのを目の当たりにした。この地にい続ける余裕のあった人々は皆、これを苦々しく思っていた。彼らは、地元経済に還元しない人々の利益のために、自分たちの友人や家族が手が出せないほどものが高騰したことに腹を立てていた。次は自分たち、モンタナ人 4 世や 5 世である自分たちがそうなるのではないかと怯えた。初めて「この町は、昔とは変わってしまった」という感情が、単なる懐古主義ではなく、現実のものとなった。レンタルビデオ店もついに閉店した。家賃が倍にまで、そしてさらに値を上げるのを見た。

 

私たちは去った。そして、馬を埋めた。

 

私がケンタッキールートゼロに出会ったのは、それが開発されている7年の間ではなく、モンタナ州を離れた後のことだ。自分自身の属する場所から追い出された後、私はこの物語の鏡鑑のなかへと避難した。

そこには、自分たちの力ではどうすることもできない、理解することもできない経済状況によって、残酷な目に遭う登場人物たちがいた。より豊かな生活を約束しておきながら、その豊かな生活が自分たちだけのものであるという事実を隠蔽し、コミュニティに侵入してきた力、その力によって文字通り日陰に追いやられた者たちが。私は、自分が認められたように感じた。

怒りも感じた。自分が築き上げてきた人生を失う苦しみが、私のディスプレイに映し出されていた。私は銀行による立ち退き処分によって家を引き裂かれた少年、エズラのことを思う。通り沿いに見かけた空き家、もうすぐAirbnbに掲載されるだろう空き家を思い浮かべる。そして、そこに住んでいた家族のこと、彼らの息子にもまたジュリアンという名の鳥がいたのではないかと思う。ゼロ号線は、アメリカ南東部から1700マイルも離れた私が住んでいた場所にまで、コンクリートの牙を剥き出しにやって来ていたのだ。

 

ただし、この考えはゼロ号線が何であるかについて根本的な誤解となる。それは経済に組み込まれることが地域社会にもたらす、過酷な共鳴ではない。ゼロとは、その跡に残された繋がりのことだ。ゼロは置き去りにされた人々のためのものであり、残された人々のためのものだ。コンウェイはドッグウッド・ドライブ5番に配達をするなかで、テレビの修理工、アンドロイドのミュージシャンたち、そして小さなエズラなど、さまざまな人々と繋がりを結んでいく。コンウェイは、この土地を枯らしてしまった企業に打ち捨てられた哀れな人々に出会う。彼は、コミュニティを見つける。私が自分の中にゼロを感じたのだとしたら、それは怒りではない。それは、芽生えゆく共同体だった。

ゲームの4つ目の幕間劇『Un Pueblo de Nada』では、コミュニティTV局WEVP-TVの最後の放送を見ることになる。幕間劇の名前を訳すと「何もない町」となる。この町の住民たちになんてびったりだろう。彼らをそこに強制的に連れてきた統合電力会社にとって、ここは何もない町なのだ。放送中に嵐が町を浸水させたとき、比喩的だった「プエブロ・デ・ナダ」はまさにその名の由来の通りとなった。すべては水の中に失われた。

もちろん、人々を除いて。コミュニティを除いて。私たちがゲームを通して追ってきたキャラクターたちは、強欲と洪水を生き延びた人たちと出会い、町が復興するにつれて新しい繋がりが形成される。彼らは時間をかけて失ったものを悲しむ。洪水の犠牲となった地元の農場の近くの馬、その避難場所であった納屋が彼らの墓となる。そして人々は、自分の未来を決断する―この町に留まり再建するか、それとも次へと進むのか。彼らはドッグウッド通り5番を見つける。

 

"そして、私たちは馬を埋めた"

 

馬たちは新しくできた墓に横たわり、二度目の難民となった者たちが別れの賛美歌を歌う--『I'm Going That Way (私はそこへ行く)』。教会では、この賛美歌は天国への希望を示すものとして歌われる。おそらくゼロの周縁に住む人々にとってもそれは同じなのだろう。この言葉には、ゲームのほかの場面でも見られる意味が込められているのかもしれない。物事とはそういうものであり、私たちにできるのは進むことだけ。

私たちが歩む道は、天国へ続くものではないとしても、これまで歩んできた道と同じように、未知の遠いところへと私たちを導いてくれる。最初のバースが終わりに近づくと、馬に別れを告げるように影のような人影が現れる。彼らはそのまま死者の幽霊なのではなく、ゼロ号線沿いに流れていった時間、文化や生活に関わった人々の魂のように見える。彼らは賛美歌に加わり、ゲームは幕を閉じる。美しい瞬間だ。

 

続いていく人生の中で、私はよく、このシーンのことを考える。それは私が置き去りにした山間の町に慰めを与え、私はひとりではないということを思い出させてくれる。馬に安息を与えるためにやってくる魂は、私が前に進むのを手伝ってくれる。その魂は、私が別れを告げた人たちかもしれないし、私より先に旅立った人たちかもしれないし、その両方なのかもしれない。彼らはまだここに、私のそばにいる。私が背負ったのは重荷ではない。ともにいる人々だ。

 

この夏、妻と私は子供を亡くした。こういうことに対する悲しみは、言葉にならない。感情は引き裂かれる。私たちは涙を流し、流して、そしてまだ悲しみの中にいる。

どうすればいいというのだろう?

ひとは馬を埋める。

喪失はいつもそこにある。あなたのいる場所にも。そこにはすでに悲しみを経験してきた人々がいて、あなたを愛する人々がいる。

ともに、馬を埋める。

 

馬を埋める

 

 

-----------------------------------------------------------------------

Perry Gottschalk氏はコロラド州在住のライターで、ゲームとゲームが私たちに引き起こす感情について考えています。より多くの感情を知りたい方は、@gottsdamnをフォローしてください。