FAITHにおける「神はなぜエイミーを助けなかったのか」という神学的問題に対する回答試案

趣味の感想文その1。FAITH: The Unholy Trinityのマーティン家の悪魔憑き事件とエイミーの救済に対する個人的見解について。

以下は、キリスト教徒でもなければ、神学をちゃんとかじったこともない素人が本問題を考えるための材料を記した覚書である。

 

※この覚書はどのような事実も保証しない

※全Note、全endingネタバレ注意

始めたことを終わらせなければならない




結論

エイミーの救済は、弱く罪を抱える人の子がそれでも人を救えるのかという神の試練である。

 

 

事件の概要

ゲーム開始前

マーティン夫人が双子を流産により失う

マーティン夫人が双子が生存しているように振る舞うなど、精神不安定状態となる

夫人は治療で一時回復に向かうが再度悪化

マーティン氏が送った怪しげな人形に触発されて(?)マーティン夫人が双子の依代を作り始める

エイミーが婦人科クリニック(ゲイリー率いる教団が運営)でボランティアを始める。教団がエイミーと接触を図る

エイミーに悪魔が憑く

Chapter3 Note44

ボブへ

君が昔からの友人でなければ、こんな風に患者の秘密を破るようなことはしない。私はこの状況を本当に憂いているんだ。

 

ナンシーの妄想は、初めの頃よりもずっとひどくなっている。私は彼女に徐々に現実を示すよう注意深く接してきた。君は、彼女がまだあの二人のことを話したり偽のお誕生日会を開いたり、その他諸々についてもとても忍耐強く対応していた。彼女が流産したこと、そして双子が亡くなったことを受け入れたとき、私たちは前進しているのだと思った。

けれど彼女は今、双子が自分とコンタクトを取ろうとし、双子の魂が宿る "代用品 "を見つけられると確信しているようなんだ。

 

聞き覚えはないか?ニカラグアの村で見つけた家を覚えているか?君が彼女に話したのか?なぜ君がそんなことをするのかわからないが、そうでなければなぜそんな話が出るのか、他に理由が思い当たらない。

できるだけ早く私のオフィスに来てくれ。次にどうすべきか、話し合う必要がある。

 

 

1986年9月21日

エクソシスト2名(オルレッド神父とジョン)がエイミーの悪魔祓いを試みる

悪魔に敗北し、オルレッド神父が死亡

エイミーが両親2名を殺害

ジョンはエイミーに対して単独で悪魔祓いを行おうとするが失敗。悪魔に圧倒され、恐怖に負けて逃走しようとする

ジョンに対して、白い謎の存在がエイミーはどうするのか問う

ジョンは逃走を希望する

白い謎の存在は、エイミーの運命をジョンの記憶に封印することを条件に、ジョンをマーティン家から逃がす

白い謎の存在との会話

ジョン:これは、私の身には余ります。私は怖ろしいのです。どうかこの場所から逃してください。

??:少女はどうする?

ジョン:私はただ帰りたいのです。

??:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。

ジョン:お望みならなんでもします。どうか、ここから連れ出してください。

??:誓いなさい。

ジョン:誓います。

事件後、ジョン及びエイミーは精神病院に収容される


1986年10月23日

ジョンは悪魔祓いを間違いだったと認め、信仰を捨てることで退院を認められる

この時点で、正式な聖職者としての地位は辞しているかも?

(神父を辞したのち、ジョンはモリーと暮らしはじめる)

Chapter1 Note20

1986年10月23日

マクグラーシャン先生へ

 

ここエール精神医学研究所で私の治療が始まってから、30日が経とうとしています。スピネル先生は私に辛抱強く寄り添い、私の苦悩を理解し、私が真実を受け入れて前に進む方法を見つけるのを助けてくださいました。

スピネル先生の助けを借り、私は実際にマーティン家で起こった9月の出来事について受け入れられるようになりました。これは超自然現象の結果ではなく、独断的な両親と前時代的な教会による悪魔祓いといわれる儀式によって、暴力的にならざるをえなかった少女の必死な抵抗であったと受け止めています。

 

嬉しいことに、真実を受け入れてから、悪夢は止み、事件以来感じたことのない心の平穏を享受しています。こちらに来てからの私の経過を考慮いただいたうえ、今後のスピネル先生の経過観察を条件に、エール精神医学研究所からの退院を謹んでお願いいたします。

 

1987年9月

エイミーが精神病院から脱走?

カルト教団が儀式を行い、エイミーの顔を削り、器とする

ジョンが悪夢を見る

Chapter1 Note18(抜粋)

モリー

私はあの家へ戻らなければならない。私の見ている悪夢は現実だ。エイミーはまだあそこにいて、私を待っている。まだ彼女を助けられる。

 

Chapter1

1987年9月21日

ジョンはマーティン家へと戻り、器となったエイミーと邂逅

ジョンは悪魔を祓いきれず、エイミーは脱走

ジョンは銃を手に取るが、エイミーに手をくださないまま、家へ帰る



Chapter2

ジョンが悪夢を見る

悪夢から目覚めると、ガルシア神父の手紙が届いている

(モリーは家を去っている)


Chapter3

1987年10月28-30日

ガルシア神父の手紙に従って、カルト教団の目論見を阻止するためクリニック・アパート・保育園を探索する

 

1987年10月31日(冒涜の安息日

(Neutral ED)

ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す

ゲイリーを退け、カルト教団の目論む冒涜の安息日を阻止する

エイミーの悪夢を見続ける

ジョン:神父さま、去年初めてエイミーと会った時に……悪魔を見たのです。悪魔は私を惑わしました。これからずっと、私はエイミーから解放されることはないでしょう。

 

(Good ED)

ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す

封印を解き、カルト教団の最奥「坩堝」の中でミリアムとゲイリーとマルファスの穢れた三位一体と対戦

撃破後、エイミーに出会い、悪魔祓いを終える


(Bad ED)

ジョンはなにもしない

自宅にいたエイミーに取り憑く悪魔に呑み込まれ、天罰「Damnatio Memoriae」(記憶の抹消)が下される

天罰「記憶の抹消」

 

前提

  • 人間には善を為すor悪を為すことを決める自由意志がある。これを尊重し、原則、人の子の問題は人の手により解決すべきである。
  • ただし、神の恩寵を実現させるため、自由意志を助ける形で神は介入を行う場合がある。(傾かせるが強いない)
  • この項における「救い」とは魂が悪魔から解放されることを指す。

(白い謎の存在の補足)

  • 白い謎の存在をジョンの空想上のイメージと見なした場合でも、ジョン自身がイメージとの対話により意志を持つに至った結果を重視し、以下の推論を妨げないとする。
  • 白い謎の存在が天使か悪魔かは、作中で明言されないのでここでは問わない。開発者のAirdorf氏は「コリント信徒への手紙二11章14節」を引き、あの存在は悪魔が天使を装ったものと示している。 

コリントの信徒への手紙二/ 11章 14節

しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の天使を装うのです。

日本聖書教会「旧約聖書 聖書教会共同訳」

 

 

推論の過程

マーティン家の状況は、オルレッド神父とジョンが来た時点ですでに破綻状態にある。神父たちがエクソシストとしてできることは、エイミーに憑いた悪魔を祓うことだけだ。けれど、悪魔祓いは失敗する。

オルレッド神父が死亡したのち、エイミーが救われるか否かはジョンの手に委ねられる。ジョンにとってははじめての悪魔祓いであり、ジョンは悪魔にたやすく圧倒され、恐怖にのまれてしまい、人智を超えた存在となってしまったエイミーから逃がれたい一心で助けを求める。

ここから、なぞの白い存在との対話が始まる。

白い存在にこのまま逃げたらエイミーはどうなるのか、暗に見殺しにするのかと問われたとき、ジョンはそれでも恐怖から逃げることを選択する。

この選択により、エイミーが現世で救われないこと、悪魔の器となる運命は確定する。人間だけでは悪魔の目論見を防ぐことができなかったことも。悪魔から逃げることを選択し、エイミーが悪魔の器となる運命を最終的に決定した人間はジョンである。

救うべき者を見捨てた罪の代償は「エイミーの運命をジョンの頭に封じる」ことだ。それはジョンにとって誓いであり、呪いでもある。

白い謎の存在:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。

Chapter3 Bad EDでの会話

 

頭に封印された記憶は悪夢となり、1年後にジョンは再びマーティン家へと赴く。信仰を捨てて、モリーとのあたたかなはずの愛を得たにも関わらず、ジョンはそれらを捨てて、あの家へ戻らなければならない。

誓いを果たすため、または呪いを解くために。

自らが犯した罪、助けなければならなかった無垢な子どもを見捨てた罪へと向き合い、今度こそ悪魔を祓うために。

悪魔の器となってしまったエイミーから悪魔を祓い救うことができるのは、そうなる道を選択してしまったジョンしかいない。それがどんなに苦しい道であったとしても。

始まりの場所

エイミーを救うことは彼個人の願いであるとともに、神の意思でもある。

悪魔を祓う力を持つ十字架は、ジョンの願いを助け、神の意思を示す。エイミーを救うという神の意思を達成するか否かは、良き神の子たるジョンの行いにかかっている。

それは、救うべき者を救わなかった罪深き者が、なお人を救えるのかという神の試練である。

 

悪魔の器となったとしても、誰の手にも及ばない存在になったとしても、エイミーはまだ救われる可能性がある。ジョンが歩み続ける限りは。

詩編116章9節

命あるものの地にある限り私は主の御前に歩み続けよう。

日本聖書教会「旧約聖書 新共同訳」

 

 

おまけ:神に頼らない世俗的な救済について

ついでに、神の助けを借りずとももっと早く助けられなかったのかなあと考えてみる。

世俗的な救済は一般人が対応するため、家庭が破綻に至る前の早期対応が重要だと思われる。

具体的には、親戚・近隣・公的団体等による早期のエイミー母への共感的なメンタルケアやグリーフケア、エイミーの状況把握及び学校への登校支援、適切なコミュニティ(信頼できるボランティア団体や普通のバイトなど)への参加誘導などが必要だったんだろう。

だけど、1980年代という時代背景や孤立化しやすい森の一軒家という環境を考慮すると、救済難易度高めでいろんな難しさを感じる……そしてエイミーが器となり死亡が確定した時点で、世俗的にできることはもうない……

器となったエイミーを救うことができるのは、結局ジョンだけなんだろう。

 

 

あとがきと感想

神の存在を前提とする場合、残酷なこの事件をどう神学的に解釈するんだろうという個人的興味により書いてみました。

理論的に導くならこんな感じかなと思ったけど、神学者の方の解釈を聞いてみたいなあ。ちゃんと書くなら、アウグスティヌスとかの著作やそれに続く自由意志論争を読みとかなきゃいけないんで無理。結局ただの感想文に近いけれど、ふしぎ論理学っぽく色々考えられたのは楽しかったです。

 

もし、白い謎の存在が天使を装った悪魔なのだとしたら、作中いちども神の意思は直接示されることはなく、ほんとに十字架だけが頼りであまりに信仰ハードモード……

ヴァチカン非公認でも、神との一対一の信仰を果たすためとにかくやるんだ!という感じはアメリカのプロテスタントっぽいかもね。本作はテキサス在住のキリスト教徒(notカトリック)の方が開発してるので。

 

神を信じるならここまで考えてきた問いに意味があるけれど、そうでなければ、ジョンの所業は罪悪感や後悔による偏執的な思い込みにしか見えないし、半分おかしくなってるんだと思う。エイミーのことは手遅れなので、ふつうに考えたら贖罪にもならないし。そうせざるをえない心理状況に追い込まれてしまったのだとしても。

でも、本当の結論はあなたの心のなかの信仰次第です。

 

 

※ゲーム画面、日本語翻訳は非公式日本語modを使用しました。

 

そして、ゲイリーはなんだったのとかミリアムって結局なんだったの?という話はまた次回。

2023/11/23追記:書きました。

 

参考

開発者の公式見解が気になる方は、Airdorf氏への開発者インタビューを聞いてみるのがおすすめ(3時間超え・英語)

ティファニーが491人もの赤ちゃんを顔に通していたとか、面白い話がたくさん聞ける!

www.youtube.com