Outer Wildsについて考えるとき、自分はこの世界にいたら、おそらくロケットで飛び立つ資格もなく、何も知ることがないまま、超新星爆発に巻き込まれてただ死ぬのだろうなと思う。
Outer Wildsに対する感情の観測結果
非常に面白かった:苛立たしさとアンコウへの憎しみ:宇宙観が違う=4:5:1
※以下、Outer Wildsに関する複雑な感情を含むごく個人的な薄暗い感想です。
スクリーンショット含め、クリアまでのネタバレを含みますのでご留意ください。
(未プレイ・未クリアの方へ)
本記事はOuter Wildsをクリアしたことが前提の読み物となっています。作品にご興味ある方は、プレイ後の閲覧を推奨します。
多くの方がおすすめする通り、オープンワールドで描かれた宇宙を探索し、たった22分の間で世界にせまる謎を解き明かしていく、宇宙と音楽とSFのセンスオブワンダーに満ちた唯一無二の作品です。
一方でゲームとしては、死に覚えアクションパズル謎解きゲームであり、そこそこ難易度が高く、操作性もかなり独特です。謎解きやアクションゲームがあまり得意でない方は、ネタバレに配慮された攻略記事・動画があるので、詰まったら謙虚な気持ちで頼って大丈夫です。操作はゲームパッド推奨。
それでは楽しい宇宙探索を!
本記事は「ゲームとことば Advent Calendar 2024」12月4日分として作成しました。

人を選ぶゲームについて
Outer Wildsをクリアしたのは2020年12月5日。今からちょうど4年前になる。
このゲームは「人を選ぶゲーム」としてよく語られるけれど、自分は完全に選ばれなかった側の者だ。
アクションも謎解きも苦手な自分にとって、Outer Wildsの宇宙探索はずっと苦労と挫折の連続だった。まず、最初のモデルロケットを飛ばすところからうまくいかなかった。ロケットを着陸させようとして何度も大破し、ブラックホールには数十回と落ち、砂嵐に飲まれ、サボテンで服を破き、ステーションへの宇宙遊泳に失敗して塵となり、クラゲに何度も弾き飛ばされた。要領の得ない探索で、迷っては何度も無為な死を迎えた。量子の月のほか謎解きもまったく進め方が思い浮かばず、中盤以降の要所はほぼ攻略サイト・動画頼りで進めている。


最難関となる最後のアンコウゾーン配達チャレンジに至っては、数日間にわたる苦闘の末にこころが折れ、はじめて日本語化MOD以外のMODを使ってアンコウに消えてもらうことでようやく突破することができた。
そのうえ、これだけ攻略情報や補助ツールを使っているのに、クリアまでの総プレイ時間は40時間を超える。普通の人は20時間程度でクリアしているのに。
2020/12当時の日記より
Outer wilds難しすぎてアンコウ消すmod入れてようやく進めた。 mod作者には感謝しかない
アクション下手すぎて攻略見てるのにプレイ時間が40時間近くなってる。 もうプレイするのがしんどい……
結局、自分にはこのゲームが要求する知恵と行動力がまったく足りていないということなのだろう。
だから、Solanumとの時空を超えた出会いもエンディングでの美しい合奏も、感慨深く見つめる一方で、これは本来自分が得るべき体験ではなかったのだろうと感じる。Outer Wildsの中にはたくさんのSF的センスオブワンダー、目の覚めるような驚きに満ちた瞬間、いくつもの発見の楽しみがある一方で、多くのそれは自分の能力不足により得ることは叶わなかったはずのものだ。


この宇宙には本来、自分のようなプレイヤーが存在する資格はない。
若く意欲と知力のあふれる創造者たちは、世界が持つ規則の美しさ、センスオブワンダーを信じるとともに、プレイヤーの好奇心、そして知恵と行動力をどこまでも信頼している。
そして自分は、彼らが信じることを信じていない。ひとは、自分は、彼らが信じるほど賢くも強くもない。
選ばれなかったゲームを考えることについて
壮大で感傷的なエンディングのなかで主人公を操作しながら、すべてが自分とは関係のない遠い出来事のように見つめていた。そして宇宙は終わり、ぽつぽつとギターが奏でるテーマ曲が流れはじめた。そういえば、この宇宙では誰も歌わないのに外宇宙で合唱の声を聞いたこと、量子ゆらぎ信号が発信していたコーラスのことをぼんやりと思い出した。
すべてが終わり、ようやく始められることがある。それから、宇宙の眼及び量子信号について考える記事を書いた。
「”Outer Wilds”クリア後に考える宇宙の眼と量子ゆらぎ信号に関する考察、あるいは宇宙の音楽」(2020/12/7)
Outer Wildsにおける宇宙の構造・成り立ちを示す「宇宙の眼」について、日本語圏で考えている記事は少ない。ゲームの発売から4年が経つが、自分が把握する限り2024/12時点では自分が書いたものとカラヤゲ氏による考察をまとめた記事のふたつだけだ(『わかりません』と結論付けているものは省く。海外情報までは追っていない)。
限られた情報から宇宙の眼と量子ゆらぎ信号の果たす役割、宇宙のあり方、そして宇宙生成サイクル仮説まで導く自分の考えは、論旨に飛躍や不足も多い。けれど、少なくとも宇宙が循環するという仮説については、結果として開発者の考えていたモデル(サイクリック宇宙論をもとにしたもの)にかなり近かったらしい。どんな形と道筋であれ、作者の意図に近づけたことはすこしだけうれしい。
(宇宙生成サイクル仮説は宇宙理論やSFネタとしては古典的なものであり、推測している人も多いかもしれないけれど、ブログ記事という知識を共有しやすい形で残したのはそれなりに意味があることと考えている)
まともにクリアすることができなかった自分が、宇宙を定義づける「宇宙の眼」について考え続けること自体、美しくエレガントな宇宙に拒絶された者の未練だ。けれど、作品の放つメッセージに惹かれることが多かったのも事実であり、その一方、心のどこかでこの宇宙に対して不信と猜疑心を強く持っていたからこそ、自分は宇宙の眼について考えを書き、納得することが必要だったのだろう。おそらく、Outer Wildsという宇宙を純粋に楽しみ感動した多くの人たちよりもずっと。
宇宙のあり方を解き明かすことは、私を受け入れなかったこの宇宙への復讐であり、感嘆でもある。だからこれは、Outer Wildsという作品に拒否され選ばれなかった者によるひとつの到達なのだろう。
選ばれなかったゲームを遊ぶことについて
もうひとつ、Outer Wildsという作品から学んだことがある。
OuterWildsにはプレイヤーを選別する悪意のような即死トラップ「アンコウ」がいる。自分はここでクリア直前に3時間くらいはまって詰んだ。なので、アンコウを消すMODを捜して(みんな困ってるのできっとあると確信していた)、アンコウを消し、それでようやくクリアすることができた。

開発者の想定する能力を持たない者にとって、それでもゲームを続けたいと思うなら、MODや攻略情報、つまり補助ツールや他者の協力が不可欠だ。今まで難易度改変系MODや攻略情報に頼ること対してどこかズルやチートを連想し苦手意識を持っていたけれど、このゲームをプレイしてそれが変わった。
独力での突破が不可能だと痛感し、インターネットに散らばるたくさんの情報とツールに助けられたからこそ、自分も後続のゲームうまくない勢のために当時少なかった初心者ガイド(宇宙服を着るのを忘れないことから始まる本当に初歩的なもの)やアンコウ消滅MODの導入記事を書いた。
微々たる取組だけれど、ガイドはそれなりの数の人に見てもらうことができた。アンコウ消滅MODにより、アンコウに苦戦していた人の少なくとも10人以上がクリアまで到達していることも確認している。それは、ゲームを楽しんでいたプレイヤーが、不本意に諦めざるをえなくなることよりずっと大事な経験となるはずだ。そしてゲームに苦戦し敗北した自分がガイドや導入記事を書いたことも、きっと無駄ではないのだと思う。
もちろんMODの中には悪意ある改変を施したり、著作者の権利を強く侵害したりするものもあり、時にその境界はグレーで、プレイヤーが使用する際は自己責任のなかで見極めていかなければいけない。
けれど、MODなどのツール・攻略などの共有情報は、言語や能力の枠を超えて選ばれなかった人たちへゲームを遊ぶ道を開いていくためのツールになりうる。少なくとも、MODを入れて曲がりなりにもOuter Wildsのクリアまで到達したことで、かなり強くそう思う経験をした。
エレガントで半端者を寄せ付けない完成された世界は美しく、その世界を作り上げた人たちの意思は最大限尊重されるべきなのだと思う。それでも作品に選ばれるか、選ばれないかは開発者側から一面的に決められるものではなく、プレイヤーサイドからも提示していけるものだ。*1
良い形でプレイヤー同士協力し、共有できるなら、ゲームという遊びはその本質を損なうことなく、より多くのひとに作品を開いていける。それはインタラクティブなデジタルゲームというメディアにとって、大きなメリットではないだろうか。
Outer Wildsをプレイして思い至ったMODやプレイヤーコミュニティに対する考え方は、Kentucky Route Zeroの再翻訳MODを非公式で作成するときの自分のスタンスのベースにもなっている。
※開発者からの依頼を受け、再翻訳Modは公式採用済み。
以上の意味で、自分はOuter Wildsという特別な作品を最後までプレイできてよかったと思っている。たとえそれがほかのひとと違う意味であったとしても。

いちばん好きなエンディング
ぜんぶ壊れてほしい。

本記事は、Tumblr用に書いた記事(2024年9月6日)を「ゲームとことば」企画用に改稿したものです。
あとがき
Outer Wildsという作品に対する複雑な感情を、クリアから4年経ってやっと外に出せる形に整え、感想として言葉にすることができたのでよかったです。
なにかや誰かの思い・経験を否定したいわけじゃなくて、作品に選ばれなかったこと、拒まれたと感じたこと、それは自分にとって悪いだけのことではなくて、選ばれなかったから見えたものがあり、そして見えた先にあるものについて書いた文章がひとつくらいあってもいいのかもなという思いで書きました。
「人を選ぶ作品」について考えるきっかけをくれた、自分にとって思い出深いゲームにあらためて感謝を。