ある殉教者の記録
ファンを殴ってしまった推しアイドルの炎上に端を発する話。
どこか貧しく削ぎ落とされた文章の鋭利さが内容と一致し、語彙・文体の選択が的確で楽しく読めた。
おそらく発達障害的なものを抱えた主人公視点でも、破綻寸前の家族関係の中で家族をとりなそうとする姉視点でも、親子・夫婦関係に難を抱え仕事も大変な母視点でも、明らかに接客業に向かない子の面倒を見るバイト先の先輩視点でも、みんなしんどくて、本当にしんどい。
周囲がもう少し優しく理解ある環境であれば、と簡単には言えない切実さがこの小説にはあり、だからこそ推しへの愛と信仰だけが輝き美しく見える。そして、あまりに危うい。
家族と主人公・世間と推しの関係は、理解されない世界で孤独を生きる者として相似構造を描き、主人公を取り巻く苦境の中で推しへの信仰が純化していくのと同時に、主人公が社会から孤立していくのが怖かった。殉教する人ってこういう気持ちなのかというリアルさ。
最後の、事実上の推しの人間宣言を受け止めるくだり、他人事だけど安心してしまった。人間として強く生きていかなければならないと思わせる勢いがあったと思う。
同じように社会にうまく適合できない個人が、ぎこちなくもなんとかサバイブしていく話として村田沙耶香「コンビニ人間」も思い出したりもした。私個人としては、より空虚で、仕事の中に埋没し、過剰にシステムに同一化していく「コンビニ人間」のほうに共感してしまう。比較すると本作は、より若くて不器用で、苦しい状況でも根源的には「生きたい」というパッションが感じられ、そこが良かったな。
もう生半可には推せなかった。あたしは推し以外に目を向けまいと思う。
あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追いつめ削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。(中略)あたしは推しを、きちんと推せばいい。
宇佐美りん(2020年)「推し、燃ゆ」 より